ドラゴンフォースの日野さんって…

そんなこんなで、自分をすっかり夢中にさせてくれるドラゴンフォース。 「そういや、このドラゴンフォースのスタッフって、今どうしてるんだろう」ってふと思って、午後はネットで検索〜。


Wikipediaによると、

■ ドラゴンフォース(ゲーム) 開発の経緯

ドラゴンフォースは秋篠雅弘が設立したソフトハウス「Jフォース」から企画立案され開発が行われていた。開発途中で「Jフォース」が倒産、開発継続が困難となり、セガが新規のスタッフ(阪神大震災で住む場所を失った関西支社のスタッフが大半を占める)を加えて開発を引き継ぎ完成させた。当初の主要スタッフ(数ヶ月間、無給で働いていた)はこのゲームの完成を見ることなく、他社へと移っていった。

ちなみに、ドラゴンフォースという名称は、『ドラゴンクエストのようなヒット作を「Jフォース」から生み出したい』という秋篠雅弘の想いから名づけられたものである。

との記載あり。 ここでふと、「そういやスペクトラルフォースってあったけど、あれか? 名前も同じフォースってついてるし」とひらめいて、Wikipediaで“スペクトラルフォース”で検索。 そしたらやっぱり、ありました。



■ スペクトラルフォース ドラゴンフォースとの関係

『スペクトラルフォース』の主要スタッフは、『スペクトラルフォース』開発以前はソフトハウスJフォースで『ドラゴンフォース』の開発を行っていた。『ドラゴンフォース』開発途中でJフォースが倒産。職場を失ったスタッフはアイディアファクトリーに移籍し、『スペクトラルフォース』の開発を行い、企画立案当初の構想を繋いだ(開発規模は大幅に縮小)。

なお、1996年3月に発売されたセガサターン用ゲームソフト『ドラゴンフォース』は、発売元であるセガが開発を引き継ぎ、新規のスタッフが大幅な計画の見直しを行い完成させたものである。

両作の共通のキャラクターデザイナー日野慎之助は、『ドラゴンフォース』完成後に『スペクトラルフォース』の開発に合流、その後のスペクトラルフォースシリーズ数作品(PC版含む)を手がけている。


あー。 なるほど。 ようやくつながりました。 ふむふむ。 

ドラゴンフォース」の初期スタッフは、アイデアファクトリーに移って、そのエッセンスが「スペクトラルフォース」に引き継がれていったんですね。 


で、重要なのが、キャラクターデザインの日野さんですね。 ビジュアル面の影響は非常に大きいわけで、この日野さんの動きには注目したいわけですが、どうもアイデアファクトリーのHPで調べても、スペクトラルフォースの2までは大いにかかわってるんだけど、それ以降はかんでないっぽい。 あれ?

じゃー、どうしたんだろうってんで、今度は“日野慎之助”さんの個人名で検索。


ゲーム会社勤務からフリーになったのかな。 イラスト描いたり、コミック出されたりしてるみたいですね。 個人サイトもあるし。 おー。

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